アニメ「クズの本懐」は、「やばい」で検索されることが多い作品だ。その理由はだいたい二つに絞られる。「性的描写がやばい」か「登場人物が全員クズでやばい」か。どちらも正解で、それがこの作品の核心でもある。
ただ、「やばい」で終わらせるのはもったいない。各キャラクターが何を求めて歪んだ行動をとっていたのかを読み解くと、刺さり方がまるで変わる。この記事ではアニメ版を見た感想と考察をまとめる。
※性描写・ネタバレを含む。苦手な人は注意。
「クズの本懐」とはどんな作品か
原作は横槍メンゴによる漫画。月刊「ビッグガンガン」掲載、全8巻完結。2017年にアニメ化された。
一言で言えば、昼ドラに近い泥沼ストーリーが特徴的な作品だ。
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「クズの本懐 やばい」で検索した人へ:やばい理由はここ
①性的描写が直接的
深夜アニメとはいえ、身体的な接触の描写がかなり直接的だ。花火と麦が互いの好きな人の代わりとして求め合うシーンは、ラブコメや青春ものの文脈で見ると明らかに異質。「これアニメでやるの?」という驚きが「やばい」につながっているケースが多い。
ただこの描写は過激さのための過激さではなく、「代わり」でしか埋められない空虚さを表現するための演出だ。気持ち悪さや後味の悪さを感じるなら、それは作品が意図した感覚でもある。
②登場人物が全員「クズ」方向に振り切れている
タイトルに「クズ」と入っているだけあって、主要人物のほぼ全員が誰かを傷つける選択をする。好きでもない相手に近づく、感情のはけ口にする、自分の価値を他人の反応で測る——普通の恋愛ものなら悪役が担うような行動を、主人公たちが普通にやる。
これを「不快」と感じる人と「リアル」と感じる人で評価が真っ二つに割れる作品だ。
各キャラクター考察:それぞれの「本懐」は何だったか
花火と麦:叶わない恋の「代わり」を求めた二人
物語序盤の花火と麦は、どうしようもないことばかりしていて、好きな人に向き合えずに互いを代わりにしていた。しかし周辺人物との接触を通じて成長していく。
二人が求めていたのは「好きな人」ではなく、叶わない思いを抱えたまま生きていくための逃げ場だったのだと思う。互いをどうしても「代わり」にできなくなっていくのが、この物語の本質的な展開だ。
弱る花火に翻弄されるえっちゃん
花火のことが好きな女の子「絵鷺早苗(えっちゃん)」も、かなり苦しい立ち位置だ。好きな人を取られた花火が、寂しさのあまりえっちゃんを代わりにしてしまう。そこから先はえっちゃん苦しさ爆発だ。
中途半端に近づけると逆に苦しいんですよね、たぶん。圧倒的に叶わない夢なら近寄れなくても大して苦しくないんですけれど、手が届きそうで届かない距離はもどかしく、半殺し状態だ。
夢や目標でも近いものがあるのではないだろうか。頑張ればできそうなのになぜかできない…とか、あと少しで達成できそうなのにそれ以上は先に進めない…とか、もやもやしますし、納得いかないんじゃないかと。恋愛の場合は相手の好意は操作できませんから、夢や目標よりも難しい状況だとは思います。
それにしても、ここまで花火もえっちゃんも女の子であることをスルーしてきましたが、これはいわゆる百合というものです。私は、そういうのは当人同士が良ければ何でもいいと思っているのですが、今回の場合は花火はえっちゃんのことを半端に受け入れているけれど、本当は友達でいたいんですよね。
思ったほど「化け物」ではなかった音楽教師
この物語で特にインパクトのある人物は、音楽教師「皆川茉子」だ。彼女は男に好意を寄せられることに快感を得るタイプで、他の女から男を奪うことが非常に快感だそうで、その事実を知った時にはこりゃまずいきたなと思いました。
しかし、話を重ねていくうちに、この人大したことないなと思うようになりました。なぜならこの人は、自分に寄ってくる男性を通して自分の価値を見ていたに過ぎないのです。つまり、自分の価値を他人に依存していただけです。
男が寄ってくる自分、他の女から男を奪う自分にしか存在価値を見出せなかった。それは上手く思春期を過ごせなかっただけで、子供のままなんです。だから、「化け物」と言えるようなレベルではなかったのです。
うーん、正直もっとやばい人が登場してほしかったんですよね。でもそんなことしたら話は綺麗に終わらなかっただろうし、作者的にはこれが良かったんでしょう。この作品では、登場人物が前を向いて歩いていくように終わらせたかったのでしょうね。
それに、皆川茉子のクズっぷりと、後にわかる本当に得たかったものを得るストーリーから、実は茉子こそ「クズの本懐」に相応しい人物なんじゃないかと思います。
鐘井先生は母親を重ねているだけ?
一人だけ、ずっと前を向いているような、後ろを向いているような人物がいます。それは、「鐘井鳴海」です。
彼は、幼い頃に母親を亡くしており、その母親を茉子に重ねていたような描写がありました。だから私は、鐘井先生ってほんわかしていて優しいけれど、どこか悲しげな印象があったんですよね。
しかし、その思いからくる寛容さが素の茉子を受け入れることで茉子に変化を与え、なんとかやっていけるのであれば、それでもいいのかと思いました。鐘井先生に対してはあまり深掘りできません。作中の心理描写が少なかったですし。
わかっていた失恋
はじめからわかっていたけど、それでもちゃんとぶつかっていくのってすごいことだなあと思います。花火と麦、それぞれが思いの丈をぶつけるシーンは、正直辛かったです。
ああ、これから振られるんだよなあ…とか、麦に関しては元の茉子のままだったらコマにされて捨てられるだけだと思っていたので、かなりひやひやしました。
花火は想像通り、麦はちょっと予想外の終わり方をしましたが、結局二人とも同じ結末です。でも、そんなことは最初からわかっていたのだから、それに立ち向かっていったのは本当に頑張ったなあと。振られるのがわかった状態で思いを伝えるのって、絶対勇気がいりますもんね。
しかもそこから、ちゃんと前を向き始めたのは、最可が影響している気がします。特に花火には。最可は一足先に、片思いから抜け出しましたからね。自分の力で手に入れた購買のパンを美味しく食べていました。文化祭でファッションショーをして、人一倍脚光を浴びていました。
そういう最可を見て、花火も思うところがあったんじゃないかと。言及はされていませんでしたが、最可を見てハッとする花火を何度か見た気がします。
個人的に最可が好きなんですよね。あの「うざあざと」いけど、比較的まっすぐなところが素敵です。
まとめ:「クズの本懐」は何を教えてくれるか
「美男美女ばかりだけど学ぶところはある。」
唯一、難癖をつけるとしたら、美男美女ばかりなんですよね、この作品の主要人物は。でも、美男美女だからといって普通の人間からかけ離れた考え方をするわけではないですし、彼らだって自分の人生を必死に生きているのだから、何か学ぶ部分はありました。
片思いとの決別の仕方とか、誰かを好きな人の代わりにしようものならやっかいなことになることとか。そういうことを学びました。
嫉妬や恋心、優越感に支配されるとどうなるのか。それを教えてくれるのが、「クズの本懐」なんじゃないかなあと思います。
最後に、「クズの本懐」の「本懐」という言葉について述べて締めたいと思います。本懐とは、
もとから抱いている願い。本来の希望。本意。本望。「本懐を遂げる」
出典:コトバンク
作中主要人物のそれぞれが遂げたもの、それは本懐であり、本作品は本懐を遂げるまでの過程を見せてくれたのでした。



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