【感想】『ペスト』カミュ著:「不条理」に直面した人間の諸相が多様で面白い

小説
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新型コロナウイルスが蔓延してから、やたらと本屋に積まれている『ペスト』。感染症が蔓延し、ロックダウンをする都市もあるくらい現状が『ペスト』内の世界と似ているから、本屋に積まれているのでしょうけれど……読み終えて、ペストとコロナは全く別物だなと思わせられました。状況も症状も。

そんな『ペスト』の紹介と、読み終えた感想です。

『ペスト』書誌情報

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  • 昭和44年10月30日 初版発行
  • 平成16年1月20日 64刷改版
  • 令和2年5月20日 94刷
  • 著者:カミュ
  • 訳者:宮崎嶺雄
  • 発行所:新潮社

あらすじ

アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編。

『ペスト』裏表紙より

印象に残った箇所

『ペスト』は原文に忠実に訳されたかのような文章で、非常に読みにくいです。印象に残った箇所を載せますが、その一つ一つを読んでみても、首をかしげたくなることもあるかもしれません。

実はただ、証明書をひとつ書いていただけないかどうか、それだけおうかがいしたかったんです、つまり僕が問題の病気にかかっていないということを確認するという意味の証明書なんですがね。それがあれば、そいつが役に立ちそうに思うんです(p.124)

これは新聞記者ランベールが、オラン市から脱走するために、ペストにかかっていないことを証明するための証明書を欲しがる場面です。いつの世でも、似たようなことを考える人はいるものですね。コロナ禍でも、PCR検査で陰性の証明をしたがった人たちは沢山いました。PCR検査自体が精度に難ありなのに、どうして陰性だったからといって新型コロナに罹患していないと言えるのでしょう。まあ、おそらく、陰性なら何故か取引先や客が安心するからなんでしょうけど、馬鹿げていますね。

そしてもちろん、この新聞記者ランベールのお願いは却下されます。何故なら、ランベールと同じく町の外から来た人で、ペストに罹患していないにもかかわらず、町に閉じ込められたケースは沢山あるからです。ランベールだけを特別扱いなんてしません。コロナ禍でも、自分は罹患していないから許される、なんていう特別扱いをさも当然と思っている人の多いこと。歴史から何も学んでないですね。

しかし、また別のところでは、ハッカのドロップが薬局から姿を消してしまったが、それは多くの人々が、不測の感染を予防するために、それをしゃぶるようになったからである(p.165)

これもなんか既視感ありますね。『ペスト』の時代はインターネットが普及していなかったでしょうから、口コミとかデマが人から人へ伝わり、このような買い占めが起きたのでしょう。現代だと、もっとえげつなくて、SNSで急速に噂やデマが広まり、たった一日のうちに品切れなんてざらにありますね。これもまた、我々が何も学んでいないことが明らかになる記述です。大衆はいつだって愚かなのです。

彼らはもうなんにも選り好みはしていなかったのである。ペストは各種の価値判断を封じてしまった。そしてそのことは、誰も自分の買う衣服あるいは食糧品の質を意に介さなくなったという、そんなやり方にも明らかに見えていた。(p.272)

コロナ禍でも物資が不足している感は否めませんが、それでも今のところはオラン市のほうが悲惨です。もう何も手に入らないから、選ぶものもない。手に入ればラッキー。なんせ封鎖されているのですから。

りっぱな人間、つまりほとんど誰にも病毒を感染させない人間とは、できるだけ気をゆるめない人間のことだ。しかも、そのためには、それこそよっぽどの意志と緊張をもって、決して気をゆるめないようにしていなければならんのだ。(p.376)

これはタルーがリウーに、唐突な自分語りをしているときの一部分です。ごもっともなのですが、この「病毒を感染させない人間」というのは、ペストだけの話ではないのかなぁと思いました。この作品自体が、対ナチスの戦争の不条理を、ペストに肩代わりしてもらって描かれているというので、戦争に加担しないとかそういったことも含めて、タルーの言う「りっぱな人間」なのかなぁと。何もわかんないんですけどね!

理性的な殺人者というものには、そうなれる一つの特質があって、それが僕には欠けているのだ。(p.377)

これもタルーの自分語りの一部ですが、「理性的な殺人者」というのは、例えば、裁判長であるタルーの父親のことですね。法にのっとって死刑にすることもある。ただ、これは殺人であることには変わりないのだと、タルーは言っているのだと思います。他には誰でしょうね、戦争における兵もそうなのでしょう。自分の意思ではないけれど、合法的な理由があるので殺します、というものは全部当てはまるのかな。

感想

『ペスト』は本当に、文章がとっつきにくく、読むのがつらい作品です。私は一年かかりました。(読もうとして寝てしまったことが何度もあります)レビューサイトを見ても、「読むのを断念しました」「挫折しました」等の報告が散見され、やっぱり難しいよね、と共感しました。

しかし、内容的には考える材料をいくつも提示してくれる作品という感じで、読んで損はないと思いました。だから多くの人に読んでもらえればいいんですけど、如何せん文章が疲れる。

ジョージ・オーウェルの『1984年』のように、新訳が出てくれれば選択肢も増えるし、今まで『ペスト』が難しくて読むことを諦めていた人々にも手が出せるのになぁと思います。というか、新訳出たら私も読みます。理解しきれていない感じがすごいので。

解説を読むと、「不条理」に対面してもあまり変化しない人物と、「不条理」に対面してから大きく変化する人物で分けられるとあります。前者はリウー、タルー、グラン、喘息病の爺さん、老医カステルなどで、後者は司祭パヌルー、判事オトン、新聞記者ランベール、犯罪者コタールだそうです。言われてみれば、リウーやタルーなどは不条理の中でもできることをコツコツ積み重ねていく様子が描かれていましたが、ランベールは脱走しようとして結局考えを改めてリウーたちを手伝う側へ、パヌルーは説教の中身がブレブレに、コタールはペスト禍になって周囲とのつながりを取り戻してむしろ生き生きとするなど、なかなかカオスなことになっていたな、と思います。

こういうのを踏まえてもう一度読みたいのですが、斜め読みするにはきついんです、この本。苦労して一周しただけでもすごいと思ってます。偉いよ……。

というわけで、出版社の方々、新訳待ってます。

おまけ

ちなみに、『ペスト』を曲に落とし込んだ「ラットが死んだ」という楽曲があります。

私は、高校生くらいの時に知って、いつかは『ペスト』を読んで理解したいと思い、この気持ちで何とか読み切ることが出来ました。

映像がハイセンスだなぁなんて、初めて見たときは思っていたのですが、今は中身の一つ一つが(少しは)わかるので、「あ、グランの小説だ!」とかいって喜んでいます。朝まだき、言葉は分からなくてもグランの賢明な執筆活動は作中の癒しでした。何度も何度も、表現をリウーやタルーに相談するんですもの。

それと、「漫然な自由か、思慮ある不自由か」以降の歌詞では、民主主義について問いを投げられていて、改めて歌詞の意味も考えていかなければな、と思いました。ラットとデモクラット(=民主主義者)をかけるのもすごいのですが、「デモクラットが死んでいた」という結末にならないように、我々人類は頑張らなきゃですよ。

まとめ

なかなか読みづらいですが、それでも読む価値はあるのだと思います。「不条理」に直面した時、人はどのように変化するのか、また、変化しないのか。そもそも、不条理とは何か。

著者のカミュは、哲学にも明るい人物ゆえに、難しいのかもしれません。フランス語を訳すのもまた、難しいことなのでしょう。それを踏まえて、気合で読んでみては。

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