30歳になった。20代で学んだのは、嫌なことから逃げる準備だった

30歳になった。20代で学んだこと|アイキャッチ 雑記
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30歳になった。

せっかくなので、20代を振り返ってみようと思う。

「20代でやってよかったこと」や「20代で一番楽しかったこと」みたいな、キラキラした話が書ければよかった。しかし残念ながら、楽しいという感情はわりと希薄だし、過ぎたことはどんどん忘れる。

一方で、嫌だったことはよく覚えている。

就活をして、会社員になって、コロナ禍を経験して、人間関係を削って、仕事で禿げて、最後には38度を超えても働いた。

こうして並べると、私の20代は「何かを手に入れた10年間」というより、自分にとって何がいらないのかを確認していった10年間だったように思う。

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就活の時点で、働きたい仕事がなかった

そもそも私は、就活というものが気に食わなかった。

社会に出たこともなく、これといった取り柄もない若者側が、なぜ必死になって企業へ自分を売り込まなければならないのだろう。そう思っていたので、OfferBoxのようなスカウト型の就活サービスを使った。

スカウト経由で社長面接まで進んだ会社もあったし、内定をもらった会社もあった。結局就職したのは、大学に求人が来ていた会社だった。

周囲には、大手企業に行きたい一心で就活する人もいれば、公務員になると決めて勉強する人もいた。特定の職種を目指していたけれど採用されず、思い詰めてしまった人から相談されることも何度かあった。

私は大抵、「別の道もあるんじゃない」と、さりげなく視野を広げる方向へ誘導していた。たぶん自分自身に「これになりたい」がなかったからだと思う。

子どもの頃になりたいと思った職業を思い出しても、画家くらいしかない。現実にある職業を見ても、昔からどうも何も感じない。

30歳になった今も、やりたい仕事は見つかっていない。10年近く社会人をやってみた結果、「まだ天職に出会っていない」というより、私は働くことそのものに向いていないのだろう、と考えるようになった。

社会人になって、時間がなくなった

入社してしばらくは研修だった。同期との付き合いも多く、ほぼ毎週のように飲み会が開催されていた。

今振り返れば、ムダだったなと思う。30歳になった今、同期の中にわざわざ話したいと思える人はいないと確信したので、少し前にしれっとグループLINEから抜けた。

そして新人研修といえば、マナー研修である。昔このブログにも書いた気がするが、私はマナー研修が嫌いだ。 → 新卒時代の話

わざわざ朝早く起きて満員電車に揺られ、9時に会社へ到着してまで聞く価値のある話とは思えなかった。マナー講師という職業は、存在しないところにまでマナーを作り出す。なぜならマナーを教えるのが仕事だからだ。教えるべきマナーは多い方が商売になる。

少なくとも私が受けた研修は高圧的で、マナーを説くその姿勢そのものに「それはマナーとしてどうなんだ」と思った。今思い出しても腹が立つ。

そして何より、朝がつらかった。一日9時間ほど会社にいて、往復の通勤に約2時間。一日のうち11時間程度を、会社員であることに使っていた。

疲れが取れないまま朝が来て、また会社へ行く。私の命……。

コロナ禍で「会社に行かなくても仕事はできる」と知った

コロナ禍に入ってもしばらくは出社していた。しかし、いつまで経っても収束しない。次第にリモートワークをするようになった。

当時の仕事は、誰かが必ず職場にいなければならないものだったので、今よりは出社する機会が多かった。仕事内容にもあまり興味がなかったため、上長に異動希望を出し、その後、開発の仕事に移った。

せっかくSIerで働くなら、私はコーディングがしたかった。希望していた仕事ができるようになり、リモートワークも増えた。負荷はかなり下がった。当時は。

コロナ禍で知ってしまったことがある。毎日会社へ行かなくても、仕事はできる。往復2時間を通勤に使わなくてもいい。

以前は「会社員とはそういうもの」として受け入れていた苦痛が、実はなくせるものだったと知ってしまった。これは後々、かなり大きかった。

自由時間が減って、人間関係も削った

その後、だんだん仕事が忙しくなった。満足に余暇を過ごせなくなると、自由時間が猛烈に惜しくなる。

そこで私は、人間関係にも費用対満足を考えるようになった。限られた休日の数時間を使って、この人と会いたいだろうか。 → 燃え尽きた話

考えた結果、満足度の低い交友関係はカットしてしまえばいい、という結論に至った。もちろん突然そう思ったわけではない。そこに至るまでには、長い年月をかけて観測してきた小さな違和感や失望の積み重ねがあった。

私はひとりでいることで回復する。そんな自分にとって、いつの間にか交友は娯楽というより義務に近くなっていた。

正直に言えば、人は思ったほど変わらない。生活は変わる。就職したり、転職したり、結婚したり、引っ越したりする。でも物の見方や考え方は、年月の割にあまり変化していないように私には見えた。長く付き合っていても、こちらの表層しか見ていないと感じることもある。

社会学には「弱い紐帯の強さ」という考え方がある。親密ではない知人とのつながりが、新しい情報や機会をもたらすことがある。そう考えれば、人間関係を削ることは合理的ではないのかもしれない。

それでも私には、削った方がストレスが少なかった。そもそも相手を「弱い紐帯」として維持するメリットを考えている時点で、私はその人にそれほど親しみを感じていないのではないか、とも思う。

そして禿げた

リモートワークがすっかり定着した頃、私はあまり合理的とは思えない理由で毎日出社するよう命じられた。

納得がいかなかった。リモートワークでも対応できる。むしろ、そちらの方が効率的だと思っている。それなのに毎朝起きて、通勤して、会社へ行かなければならない。

当時の仕事はそこそこ忙しく、たまに残業もしていた。ただ、倒れるほどの激務だったわけではない。それでも、しばらくして円形脱毛症になった。

仕事量だけが原因だったとは思っていない。この頃にはすでに、「仕事に自分の時間を奪われすぎている」という感覚が育ちきっていた。なくせると知っている苦痛を、納得できない理由で再び強制される。それが精神的にかなり苦痛だったのだと思う。

人の士気が下がるようなことを強制するなら、それなりの成果を出してほしい。しかし特にそんなものはなかった。

今思い出しても腹が立つので、当時の上司には毎日タンスの角に小指をぶつけてほしい。

ねこどん
ねこどん

生涯苦しめ~~

38度を超えても仕事をしていた

20代終盤、扁桃炎になった。38度を超える熱が出た。それでも仕事をしていた。

納期が迫っていた。人員はカツカツだった。体調を崩す前から残業していた。休めなかった。

アホらしい。とてもしんどかった。

ようやく病院へ行って採血をすると、白血球がフィーバーしていた。医者には「よく耐えたね」と言われた。

会社の中にいると、納期まであと何日、この作業が終わっていない、誰がこれをやる、といったことばかり考える。しかし病院へ行けば、「この身体でよく耐えていたね」と言われる。

一人が38度を超えた程度で回らなくなる仕事のために、なぜ私はここまで耐えていたのだろう。振り返っても、やはりアホらしい。

20代で分かったのは、私の時間には限りがあるということ

こうして20代を振り返ると、私は仕事を通して成長したというより、自分の時間が有限であることを思い知らされた気がする。

通勤に2時間使う。会社に9時間いる。飲み会に数時間使う。休日に人と会う。残業する。体調が悪くても働く。

一つひとつは「そんなもの」として受け入れられる。でも全部、自分の人生の時間を使っている。

私は30歳になった今、「もっと昇進を目指せばよかった」とは思わない。「もっと会社に貢献しておけばよかった」とも思わない。

むしろ思うのは別のことだ。

もっと早く金を貯めろ。もっと早く投資の勉強をしろ。副業をしておけ。あと、飲み会はムダだ。酒もやめていい。

嫌なことから逃げるための切り札が金

20代の自分に一つだけ強く言うなら、「早く金を貯めろ」だと思う。

金があれば幸せになれる、という話ではない。嫌なことから逃げるための切り札が金なのだ。

仕事がどうしても嫌なら辞められる。理不尽な要求をされたときに、断る選択肢を持てる。会社だけを唯一の収入源にしなくてもいい。嫌な人間と、メリットのためだけにつながっている必要もない。

金は、嫌なものを拒否するための選択肢を増やしてくれる。

もっと早く本気で投資しておけばよかった、とは思う。ただ、やらなかったよりは、やったことが今の自分にプラスに働いている。 → 投資の話

だったら30代では、40歳になった自分に同じことを言わせたくない。

20代で学んだのは、嫌なことに耐える方法ではなかった。嫌なことから逃げられる状態を、自分で作っておくことだった。

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