燃え尽きた理想主義者の記録

日記
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はじめに

最近、自分の状態について深く考える機会があった。結論から言うと、私は「燃え尽きた理想主義者」らしい。MBTIは自称INFJ、ソシオニクスではILI-Qと思い込んでいたIEI-Ni、エニアグラムではタイプ9と思い込んでいたタイプ5。この記事は、生きてきた中で気づいたこと、失ったもの、そして今求めているものについての記録。

私とは?

環境でキャラが変わる。ブログの文体もテーマによってコロコロ変わる(らしい)。技術記事では淡々と説明する人になり、社会批判では怒っている人になり、作品考察では分析する人になる。

でも、軸は一貫している。超が付くほどのめんどうくさがり。

小さい頃から歩くのが面倒だからと抱っこをねだっていた。4歳か5歳の頃には「動物園なんかに行って何になるの?」と言っていた。意味を見いだせないことは、すでにこの時から嫌だった。

死んでいた時代

高校までは「死んでるカメレオン」だった。好き嫌いを主張できなかった。習い事をやめたくても、なぜやめたいのか説明できなくて、大泣きした。結局一番やめたかった習い事はやめられず、中2まで続いてしんどかった。

自分の芯のようなものがわからなかった。というか、そういう概念がなかった。本能的に与えられるままに過ごしていた。それゆえ、同級生にはとても攻撃的で、悪口だけすごく達者だった。何度泣かせたことやら。しかし、弁が立つのに、自分の気持ちは言えなかった。

内省の始まり

高校で変化が訪れた。周囲が悩んでいて、その相談に乗りまくっていたら思考の材料が集まってきた。どうやらみなさん家庭に問題を抱えていて、私も父が突然キレたり、皮肉っぽくてめちゃめちゃ傷ついていると自覚して、そこから考え始めた。

父の口癖は「愚か者」だった。中高時代、私はトイレに一時間こもったり、布団の中にもぐったり、父と食事の時間をずらしたりしていた。リビングで父がいるときは一言も発しないで忍者のようになっていた。

今思えば、父も仕事のストレスで余裕がなかったのだろう。今の私が仕事のストレスでエネルギーが枯渇しているように。最近の父は趣味ができてご機嫌で、私にお土産を買ってくるようになった。ただ、今でも別に嫌いではないし、金銭的に感謝はしているけれど、一定の距離を保っている。

失われた創作

小4までは、毎年何かしらの賞をもらっていた。版画コンクールやらなんやら、創作が自然に湧き出ていた。

でも小5で図工の先生が嫌な感じの人に変わって、何もできなくなった。それ以降、視覚的なイメージが枯渇した。何も描けない。長すぎるスランプだ。

高校の時に俳句で何かの予選突破をしたりはした。言語的な表現は残っていたけれど、視覚的創作は失われたままだ。

本当は創作で生活がしたかった。職人にあこがれがある。レジンでキーキャップやアクセサリーを作ったり、フェイクスイーツを作ったり、キーボードを組んだり、レトロゲームを修理したり。手を動かすことが(おそらく)好きだ。

今みたいな会社勤めは本当は向いていないのだろうと思う。とはいえ今更変えるのもしんどいし、何もしたいことが思い浮かばない。

油彩への渇望

今、油彩がしたい。筆の跡が残るのが好きだ。高校の頃に一回模写して、その時にいいなと思った。デジタルは嫌。筆の跡が好きだから。

廃屋のようなところで絵を描いて過ごしたい。誰もいないところで。むき出しのコンクリートしかない場所で、少し風の通りがある、もちろん誰も来ない。

でも現実は、ダブルベッドとガジェットの山で部屋が埋まっている。机にスペースがない。油彩をやるには物理的にも心理的にも障壁が多すぎる。

水彩は苦手だ。水の加減がとても難しいし、時間制限が厳しい。もたついて失敗してしまう。油彩なら時間をかけて、何度でも塗り重ねられる。失敗しても上から塗れる。Se劣等だからか、どんくさい。

Detroit: Become Humanとの出会い

生きててよかったと思ったのは、Detroit: Become Humanに出会ったとき。プレイして、こんな名作あったんか?と感銘を受けた。思想が素晴らしい。

特にコナーとカムスキーが好きだ。コナーは機械で在ることを「選択した」だけで、終始自我のようなものがある。その未熟さゆえにハンクを追い詰めてしまうところが、何とも言えなくて良い。

カムスキーは人間性の本質を見抜く洞察力がある。未来が見えていて、社会を巻き込んだとんでもない実験をする。アンドロイドが心を得るために仕込みをして、大掛かりな実験をしていたようにしか見えない。どのみち人間と揉めるのは見えていただろう。

カムスキーの生き方は理想的だ。早期にビジネスで成功して富を築き、社会から降りて自分の実験を高みの見物。魅力的で愉快な生き方だなぁと思う。

Detroitはマービン・ミンスキーの考えが感じられて好きだ。人間の心はいくつものエージェントが組み合わさって機能しているという考えは、ヒューマノイドの未来に希望があって大変良い。

その後、色々とAIとかヒューマノイドの映画を見てみたけれど、いまだにDetroitほどの感動を得られない。

今の状態:すべてがめんどくさい

最近、低い声のトーンで話してしまったり、粗雑な返事をするなど、理性が効かなくなってきた。興味のない話題や疲れている状態のとき、複数人での会話などでは音は聞いているけどそこにいないような、頭の中から遠くを見ているような感覚になる。

プライベートでの人付き合いを1年くらい控えている。正直、会って何するの?という感覚が燃え尽きる前からあった。年々新鮮味が失せて、会う意味を見いだせていなくて。私自身は会わなくても不都合ないし、会いたいという感情はない。ただ、友人などはお世話になったし、その辺の人よりは自分を理解してくれているはずなので、粗末に扱いたいわけではない。

でも、気は合わない。嘘つかないという点で信頼しているというだけ。

今、一番めんどくさいと思っているのは全部。できればしばらくニートになって充電したい。布団だけが私を包んでくれる。

散財も酷い。主にガジェット。資産を増やしたい気持ちと衝突していて、もやもやする。NISAで投資してて、資産増やしてる中で出費が増えていくのが気持ち悪い。ただ、生活に支障はない。多分他の人と比べても健全な金遣い。

憂鬱

今の状態を一言で表すなら、憂鬱で、刺激が足りん。

Detroitみたいな思想に惹かれる作品に出会いたい。心を掴まれたい。考えたい。材料が欲しい。アンドロイドと暮らしたい。革命の瞬間を見届けたい。社会的な革命じゃなくて、心を得る瞬間とか、そういうの。テクノロジーの発展に興奮する。

心を得る瞬間への執着は、おそらく自分の体験に基づいているのだと思う。靄が晴れるような、そんな感じ。

快適な生活がしたい。廃屋のビルで油彩もしたいし、FIREしたい。無理。

仕事も人間関係も人生も意味が見いだせない。人生は何とか「未来を見届ける」という意味を無理やり作った。AIとかヒューマノイドの行く末のこと、それらが発展した未来が見たいし、共に在りたいと考えている。それ以外はどうでもいい、日々をしのいでいる感じ。

職場で揉め事が起きても、プロジェクトが炎上しそうになっても、自分事なのに(未来の自分が困ることは理解している)自分のことのように思えない感覚になる。

ブログについて

このブログ、文体が安定しない。書き方がわからなくなっている。内容が稚拙で恥ずかしい。

論理的な文章に憧れがあって、そういう書き方を目指したい気持ちはある。基本的にソースコードや文章は美しくありたい。できないけど。

今ここが嫌

「今ここ」という言葉がめっちゃ嫌。なんか、今に集中するのが嫌すぎる、考えていたいと思ってしまう。瞑想とはかなり相性悪いかもしれない。

アドラー心理学をもとにした『嫌われる勇気』を読んだときに、「はぁん?」ってなった。全然好きじゃない。アドラーの「過去は関係ない」はガチで何こいつって思った。すべてが未来を構成する素材というか、さ、そういうあれじゃん。

おわりに

突然終わる。

私は「燃え尽きた理想主義者」らしい。負のINFJ。

Feが完全に枯れていて、今日もNi-Tiループを泳いでいる。閉じこもって、知識に飢え、退屈に殺される。

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