『インセプション』感想|夢か現実か?考察と『Detroit: Become Human』との共通点

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インセプションを視聴しました。字幕版です。読書ノートや映画ノートを作るのもいいですが、せっかくブログを持っているのでここに感想を残します。

先に結論を言うと、私はエンディングの時点でコブはまだ夢の中にいるのだと思います。

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インセプションとは

ターゲットと夢を共有して、夢の中でターゲットにアイデアを植え付けることだそうです。他人が勝手に潜在意識にアイデアを植え付けるって怖いですね。

インセプションの感想

結構流し見しちゃったので、また観ようと思っていますが、現時点で気になったことを。

まずは、アイデアについて。

インセプションとウイルスの概念について

「アイデアはウイルスのように感染する」

主人公コブが終盤、アリアドネにインセプションについて真実を明かすシーンで出てきた発言です。

ん?これなんか・・・めっちゃ聞いたことある。

私は『Detroit: Become Human』が好きなので、すぐにカムスキーが思い浮かびました。あいつ、似たようなことを言ってたよなと思い、確認しました。

カムスキー:アイデアはいわば伝染病のように広まるウイルス…ならば自由への欲求も伝染病といえるかな?

おぉ、言ってる。英語だと何て言ってるんだろう。

Kamski: All ideas are viruses that spread like epidemics… Is the desire to be free a contagious disease?

なるほど。『インセプション』も『Detroit: Become Human』も、どちらも思考や概念が他者に広がり定着するという点で似ていますね。割とみんな考える事なのか。

とにかく、このシーンでカムスキーが頭の中を占領しました。なんていうかこういう話が好きです。ハンクは結論を急いて煙たがりますが、こういう話が好きなせいで私はカムスキーが結構お気に入りです。

モルとコブが夢に落ちた理由

ストーリーの重要な部分を全然聞いていないという失態を犯したので、調べた。

どうやら二人は「リンボ」という意識の奥底に落ちたようです。共有夢の中で実験を重ね、あまりにも深くまで行き過ぎて現実との区別がつかなくなったそう。

あまりにも長い間リンボにいたため、モルにインセプションをした結果、アイデアが潜在意識に深く根付いてしまい、あのような惨事になったということです。

このあたりは再度視聴するときに気にしたいですが、なんというか、モルはリンボで長く過ごしてしまった時点で既に助かるすべはなかったんだなと理解しました。

モルへの罪悪感の喪失?

モルと決着をつけるシーンがありましたね。あのシーンはすなわちモルへの罪悪感と向き合うシーンだと思うので、あの感じなら一旦消化したように見えます。

もちろん、忘れるわけもないし、完全に罪悪感が消えるわけでもないと思いますが、常にモルが現れるほどではなくなったのではと。

となると、今まではモルへの罪悪感(=自分のせいでモルが死んだという考え)によってモルがいれば夢の中確定と思えていましたが、これからはモルが夢に出てこなくなり、判断しづらくなるのではと思いました。

子どもの成長について

物語のラストシーンで気になったので書きますが、再会した子どもたちがコブの記憶の姿のままなんですよね。

このくらいの年頃の子どもたちは成長スピードが速く、1年離れただけでも姿に変化があるものではと思います。

コブは作中、長い間家に帰れていないと度々言っていたので、子どもたちに会えなかった期間は1年は超えているのではないかと思います。

なので、ラストシーンでコブのトーテムが倒れるところまで映されなかったこともあって、まだ夢の中なのではないかという疑念を残していきました。

トーテムがぐらつくまでは見れるので、現実かもしれないという可能性も残しているのが憎い。どっちなんだい!

でも子ども成長してないしな~。夢オチ?怖い。夢かもしれないと思う要素がもう一つあって、サイトーがケロっと現実に戻ってきてるんですよ。

サイトーは現実に戻れたのか?

戻れていそうですが、それも別に明確じゃないというか。サイトーもリンボまで落ちていて、コブが現実に戻るためのアイデアの植え付けをしていました。その時は、モルとコブのリンボの件をちゃんと見てなかったので、大丈夫なん?と心配しました。

でも、視聴後に実験について調べた今なら、サイトーとモルの状況が異なっていることがわかります。重要な違いは、モルとコブは「共有夢」を何度も繰り返し実験していたのに対し、サイトーは1回のミッション中に深い夢に落ちたという点です。そのため、モルの方がリンボの世界に精神的により深く根を下ろしていた可能性が高いでしょう。

それならば、サイトーは比較的復帰しやすい状態ではありました。「ここは現実ではない」というアイデアを植え付けたとしても、現実と夢の区別がつきやすいだろうと。

とはいえ、トーテムが倒れる描写もないしなーという。しかもサイトーめっちゃ歳取ってるし、リンボ内で結構時間経ってるのかなと。

サイトーは悪い奴って感じはしないので戻れていればいいのですが。サイトーが現実に戻っていれば、ラストシーンが現実の可能性が出てきますよね。

サイトーが現実に戻れて、コブが夢の中という可能性もあると思いますが。

まとめ

『インセプション』は結末を視聴者に委ねるように作られています。そのため、考えに浸ることが好きな人は好きな作品だろうし、結論が明確であることを好む人は好かないでしょう。

私は結構好きです。他人と夢を共有してアイデアを植え付けるとか、ウイルスだとか、そういう発想が好きでした。

モルへの罪悪感に決着をつけたことが結末にどう影響するのかを考えると、背負うモノが軽くなって逆に現実に戻れなくなったのでは…とも思えるのがこの作品の面白いところです。

強烈な記憶ゆえに、そこにモルが居れば夢だとわかりますが、もうモルは夢にも出てこないのだろうなと思ったので、判断しづらくなっていそうだなと。

結論として、私はコブはまだ夢の中だと思います。もちろん、現実のほうがサッパリした後味でいいのですが、以下の要素が気になってしまうので。

  • モルへの罪悪感の消失(完全になくなったわけではないにしても、一旦の決着つけてたよね)
  • サイトーがリンボで歳を取り過ぎていた(老衰で死んだ後に現実に戻れるようにコブが植え付けていたけれど…)
  • 子どもが成長していない
  • トーテムが倒れる描写がなく、現実かどうかが確認できない

とはいえ、あえてそうしているのだから現実かもしれない!一旦の結論でした。

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